酢豚というイノベーション

いや、さっき酢豚食べたら超美味しかったので。
ちなみに豚は猪のイノベーション


ちなみに明治維新後に肉食が増えたものの、牛に比べて豚の需要は増えなかったらしいのだが、なんとコレラ関東大震災が契機となって豚の需要が伸びたとのこと。以下Wikipediaより。

大正元年(1912年)にコレラの流行が起きると、警視庁がコレラの流行を食い止めるために魚の生食を制限し、火を通すことが前提である肉食を奨励した。この際、上述のとおり豚が多く飼育されていた東京や関東圏において安価であった豚肉の使用が注目された。これによって、それまで牛肉が主であったカツレツが豚に置き換えられてトンカツが誕生するなど豚肉料理がこの時期に多く誕生し、豚肉の需要が急増して、ブタも日本各地で再び飼われるようになった。特に関東大震災後に関東地方で養豚ブームとなり供給量が増え安価になった。


Sow with piglet
Wikipedia「豚」より>

計量カップと格差社会

長年使っていた計量カップがあっさりと壊れたのは暑い夏の日だった。ほんの少し前のことなのに随分前の出来事のようにも感じる。真夏のあの暑さを夏の終わりになるともう思い出せないのと同じことかもしれない。仲の良かった夫婦でも、きっかけすら思い出せないような些事をきっかけに、一瞬で巨大な裂け目が生じてしまうように、我が家の計量カップが不可逆的機能不全に陥ったのもほんの一瞬の出来事だった。その日一日は家族で涙にくれて、眠れぬ夜を過ごした。結果的に寝不足となった翌日にしっかり昼寝をしたのが職場だったということは必然とも言えるし偶然とも言える。世の中の出来事の大半は偶然とも言えるし必然とも言えるのだ。


小学生の息子を近所の高級100円ショップに派遣したのはそれから何日かたってからだった。「なんだいあれだけ悲しんでいたのにもう新しいのに乗り換えるのかい」という視線が突き刺さったが、計量カップのない生活はとっくに限界に達していた。ビアグラスでだし汁を鍋に注ぎ入れるという生活がすっかり私の精神を荒廃させてしまったのだ。わたしは108円ではなく300円を息子の手に握らせて「帰りにアイスでも買いなさい」と囁くだけでいともたやすく買収に成功した。


ほどなくして息子は帰宅した。
「はいこれ買ってきたよ」
と買い物袋を手渡した。
「なにこれ?」 
「えっ? 計量カップだよ」


それはえらく巨大な物体だった。私はおそるおそる袋の中を覗くと巨大なプラスチックのカップが入っていた。容量500ml。体重550トン。巨体がうなるぞ空飛ぶぞ。
「ちょっとこれなに? パーティーグッズ?」
思いがけずむっとした調子になって息子を問いただすと、
「これしかなかったよ」
と悪びれずに答えた。口角にはチョコレートアイスがべったり付いていた。
「ピノ?」
「うん。」


私のささやかな個人史において計量カップは常に不動の200mlサイズであった。そして1カップは何mLかと問うことは、ローマ法王にあなたは神を信じるかと問うのと同程度の愚問なのだった。もちろん誰しもがそうであるように、わたしもお米の1カップだけがなぜ特権的に1合=180mlを譲らないのかという若々しい抗議の声をあげた時期があったことを隠しはしない。しかしそれでも計量カップと言えば不動の200mlであり、料理本に「3カップのだし汁」とあったときに、たまたま手元にあったお猪口にだし汁を注ぎそれを雪平鍋に注ぐという単純作業を3回繰り返し、出来上がりを味見して「水っ気がぜんぜん足りてねえ」と出版社に抗議の電話を入れるというような自己中心的な態度をとったことなどは一度としてなく、きっちり200mlサイズ計量カップ3杯のだし汁を鍋に注ぎ続けてきた人生であった。
「なぜ手元にお猪口があるんだよ」
「うるせえ」


暑かったその日、わたしの人生の安定を担保してきた200ml計量カップがあっさりとその地位を追われることとなった。新顔の容量500mlの計量カップが平穏な我が家にある種の禍々しさをもたらした。わたしはその図体のでかい新人君に冷淡な態度をとりつづけた。彼がもたらすあの禍々しさに飲み込まれるのが怖かったのだ。
「おい新入り、でかい面すんなよ」
「すみません」
新人君は恐縮してすっかり小さくなっていた。


「えっ?」
「えっ?」
「このシチューのレシピに水3カップって書いてあるけど1.5L入れろってことだよね?」
「い、いえ・・・そ、それは・・・」
「3カップって書いてあるだろうが!ここに!」
「で、ですが、それは香川綾先生が・・・」
「なに? 貴様、香川先生を知った上でのその乱暴狼藉か?」
「工場長が、工場長が、お前はプラスチックだからサイズなんていつでも変えられると言うもんだから・・・」
「えっ?」
「えっ?」


ワンカップ大関(180ml)をちびちびと飲みながら新人君のこれまでについて話をきいた。彼はあふれる涙を拭おうともせず、しゃべり続けた。聞けば、中学卒業してすぐ上京して以来、苦労の連続だったらしい。彼の話に耳を傾けながらも、プラスチックですら可塑性が担保されないこの世界で、「君の人生はいつでもやり直せる」というような言説が果たしていかほどの力を持つだろうかと自問せざるをえなかった。


500mL計量カップとの新しい生活がこうして始まった。もちろん、200mL計量カップに対する罪悪感が、この新生活をギクシャクとしたものに変えてしまう瞬間が時としてあるわけだが、私はもう決めたのだ。彼とともに生きていくことを。わたしは新しい生命をその身体に宿していた。<了>




500mL計量カップ超便利!

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現代人の自由をパスタが脅かす

いつ頃からかはっきり覚えてないですが、パスタの乾麺が100gづつ束ねてあるタイプのものが売られるようになりました。必ず日本のメーカーの商品だったりする気がしますがそれはそれとして。500g入のパスタだったら5束に分けられているわけです。大人1人前がおおよそ100gくらいと思えば便利ですね。2人の時は2束投入。5人の時は5束投入。計量の手間が省けます。いいですねえ。


しかし、これが例えば子どもがいる家庭などではどうでしょう。こどもひとりで100gまだ無理。だけど50gだとちと足りない。70-80gくらいの見当で計算したい。こういう場面があるわけですね。あるいは大人でも夏場はちょっと食欲ないし麺の量少なめで 冷製パスタっていうときがあります。実際は麺多めにしたいというときがほとんどなんですけど、匿名のくせに念のために見栄はりました。


こういう場面ではどうなるんでしょうか。100g束に拘らずに、あのパスタを束ねている小さい輪っかをはさみでちょんと切って、その場面に必要な量だけ茹でたらいいわけです。例えば家族で360gのパスタが必要だと計算したとしましょう。この場合100g束を3束を鍋に投入して、4束目をおおよそ6対4に分けて6の方を鍋に投入すればいいわけです。


ところがです。実際はそうはなりません。上の例ですとまるっと4束が投入されます。この5年ほど必ずそうなっています。実績あります。100g束に拘束される義理はないのに。「100g束に拘束される」というフレーズに自分で酔いましたスミマセン。意味分からない場合は気にしないでください。つまり、パスタ麺の量を自分の望み通りに調節するという自由が10年以上も損なわれていることになります。期間が微妙に長くなっていますがそこは勢いです気にするなかれ。


花巻出身の元祖ニート詩人ケンジ・ミヤザワは次のように問うた

諸君よ 紺いろの地平線が膨らみ高まるときに
諸君はその中に没することを欲するか
諸君はこの時代に強ひられ率ゐられて
奴隷のように忍従することを欲するか


私に「パスタは100g束で」と強いているのは誰か。巨大権力が10g単位でパスタの量を調節したいというわたしの自由を侵害しているのか。否。安倍さんがわたしに「つまり国際的な常識からするとですね、総理大臣の私がこう言ってるわけですから、つまりですね、パスタは100g単位で茹でるべきだと断言させていただきたいと思うわけです」と命じたのか。否。ハナマルキの本社がある長野県南部の都市なのか。それは伊那


世間か。世間の圧力がパスタの量を規制しているのか。ニエット。町内会の会則で「パスタは100g束で」とうたわれているのか。ニエット。4分の3拍子で比較的ゆったりとしたリズムで優雅に踊られる宮廷舞踊か。それはメヌエット


盗んだバイクで走りだしたら自由になれるのか。ノー。法に縛られているのは確かだが、法の外に自由があるのか。ノー。感情・思考などの神経活動全般を支配するというのか。それは脳。




諸君はこの時代に強ひられ率ゐられて
奴隷のように忍従しているわけではない
新しい時代のオザキよ(ジャンボじゃないぜ)
堅実なバイトをして
スーパーカブを手中におさめよ
そして法定速度でイオンに向かえ
500gのパスタを買い物かごに入れ
ワオンカードでパスタを手に入れよ(ワワン)
そして小走りで駐輪場に向かえ
他人のバイクを盗むな(悪い癖だぞ)
愛機にまたがり自宅に戻り
余りに重苦しい重力の法則から
束ねたパスタを解きはなつ
行く先もわからぬまま
5束すべてを解きはなつ
行く先もわからぬまま
そして好みの量の麺を茹でよ
ひとり145gとか
ふたりで380gとか
望みの量を茹でよ
誰にも縛られたくないと
食べ過ぎたこの夜に
自由になれた気がした?
15の夜?







帰りに束になってないパスタを買います。チャオ。

映画『HERO』を観た(ネタバレ注意)

映画『HERO』を観た。70歳のおじいちゃん監督になったジョージ・ミラーのマッドマックス観たかったけど、こちとら子連れ狼でェイ。北斗の拳読みながら脳内補完するからいいや。


主役はキムタクに代わってソーセージ。えーっと暑い日が続いとりますが、あの有名な久利生検事に双子の弟がいましてね、実はそいつが犯人っていうから長屋の連中が大騒ぎしましてね。




それは双生児。


それはそれとして、冗談抜きでソーセージ・ムービー。キムタクも「うメ~」ってヤギみたいにめちゃ褒めてた。北川景子濱田岳佐藤浩市もみんな褒めてた。イッセー尾形が食べる場面もほしかったな。ここは唯一の減点ポイント。


それから真夏の公開なのになぜか真冬の映画だった。キムタクもダウンジャケットとか着てて「さミ〜」って羊みたいに何回も言ってた。ここも唯一の減点ポイント。


日本はただ今 in summer
映画の設定クリスマス
これおかしいYO
大人の事情があったと思うYO


汗だくでやってきました映画館
入ると中はクーラーガンガン
キムタク屋台でおでんでん
どうなってんの季節感?Yeah


最後にもう一点。前作はイ・ビョンホンが出演したので、本作ではペ・ヨンジュンキム・ジョンウンくらいは出てくるとみんな期待してたけどそういうサプライズはなかったのは残念。ここは唯一の減点ポイント。


あらすじ的にはこんな感じ。オチは書かない主義。マナーだからね。とにかく絶対オススメ!チャオ!




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美味しいのか不味いのか分からないけど超オススメ!「カルピス・カフェ・ラテ」

この季節になると超満員の山手線の車内では夏休み入った地方の若者たちが「カルピスが好きだ!カルピスが好きだ!」と連呼し、それに対してこれまでの人生で辛抱をしたという経験が一度もない団塊の世代が原液派なのかウォーター派なのかはっきりしやがれクソ野郎などといきなり罵倒して一悶着起きるという場面を目にすることが多くなり、もはや夏の風物詩と言っても過言ではなくなってきており「クソ野郎」が夏の季語にもなっているとかなっていないとか色々と喧しい議論が否が応でも耳に入ってきますが、時は1990年代前半カルピスが苦渋の決断で味の素傘下に入った直後に発売されたカルピスウォーターが売れに売れて「なんだ水で薄めて売ったら良かったんか」とカルピス社員が地団駄を踏んだという歴史的経緯があるために[要出典]、カルピスがアサヒの傘下に入った今でもウォーター派が幅を利かせて強行採決を連発するという暴挙が続いており、業を煮やした原液派が野党の不信任決議案に同調する動きを見せたのに対して谷垣幹事長が「あんたが大将」を熱唱して事態の沈静化をはかったのは森さんが首相の時代だったんだよねアハハでもあの人この前ドロッとした生牡蠣とか言って怒られてなかったアハハあれなんの話だったっけアハハって渋谷の女子高校生が立ち話してました。というわけでカルピス・カフェ・ラテのレシピです。



材料
カルピス原液
美味しいコーヒー(コーヒーっぽければ可)
冷たい牛乳(白ければ可)
氷(溶ける前が超オススメ)



作り方
カルピス原液をコーヒーで割ります。カルピスの酸味とコーヒーの苦味がお互いに悪ノリしてこれまで長い時間をかけて培ってきた味覚が冒涜されているような史上最悪の味になります。仕方がないので牛乳を加えます。するとどうでしょう。サンパウロ大学の生協で一杯3レアルほどで出せる味になるではありませんか。カルピスは効くまで使え、空気や水の如く使え、必ず効果は表れる。カルピスは神様。いいことはすべてカルピスのおかげ、悪いことが起きたのはカルピスの極め方が足りないから。修行だと思ってこの夏是非お試しください。



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暑さでやる気はないのに健康のために野菜を摂取したいときに飲む冷製カロチンスープ

暑さでやる気がでない、でもやる気を出しても何もうまくいかない、それゆえに死んでしまいたい、それなのに将来の健康のために野菜だけは摂取しておきたい、そんな矛盾を抱えながらも病院のお世話にもならずに元気で生きているという皆さんにおすすめの逸品です。一品と書こうと思ったのに勝手に逸品と変換されたのでなんとなくそのままにしておいただけで逸品というほどのものではありませんが、非常に短時間でできます。かぼちゃの種を蒔いて立派なカボチャができるまで待つというような愚を犯さなければおそらく10分程度で出来てしまいます。大変美味しいです。個人の感想です。なくなり次第終了です。


材料
カボチャ  1/8
人参    1/2
コンソメ  1個
牛乳    2カップ
氷     適量


シンプルな料理なので材料は充分に吟味していただきたいですが、我が家ではおよそカボチャには見えないようなニュージーランド産のカボチャなどを使ったときも家族全員が文句の一つも言わずにごくごく飲んでいましたので、我慢強い家族に恵まれれば材料はそれほど吟味しなくても良いのかなというのが現時点での非公式な見解です。個人の感想です。なくなり次第終了です。


作り方
1. カボチャと人参をレンジでチンする
2. そのままカボチャと人参食べても美味しそうだけどここで食べてしまうとコンソメ牛乳になるので我慢する
3. ミキサーにカボチャ、人参、コンソメ、牛乳を素知らぬ顔で入れる
(すぐに冷たいのが飲みたい場合は氷も入れる)
4. 頼む美味しくなれと願いながらミキサーのスイッチを入れる
5. ミキサーで撹拌している間にミキサーから目を離した隙にどろっとした生牡蠣をいれられちゃうからうっかり目を離せないぜ
6. 今日はこれくらいにしといたるわとミキサーに因縁をつけながらミキサーのスイッチを切る
7. そのへんに転がっている結婚式の引出物で頂いたダサいスプーンで一口味見をする
8-a. コンソメの塩味が濃すぎる場合、舌打ちを連発しながら牛乳を少し加えてもう一度ミキサーにかける
8-b. コンソメの塩味が薄すぎる場合、はてなハイクで「薄味にしたおかげで野菜の味がよりクリアになったな」みたいな負け惜しみをつぶやく
9. 適度に自分と折り合いがついたなと思ったらおもむろにごくごく飲む


私は面倒くさいのでカボチャも人参も皮付きのままチンしてそのままミキサーに投入します。それでなにか舌触りが良くないとかなんとか全盛期の織田信長みたいなことを言える空気が我が家には微塵も流れていないためか皆さん黙ってごくごく飲んでいます。しかし、ミキサーのスイッチを入れてカボチャの皮が徐々に細かくなっていき、最後にはスープと渾然一体となる様を眺めていると不思議と夏の暑さが吹き飛んだりするほど人生甘くないけど良い夏を!


なぜ村上ショージはドゼウを飲みこんだのか?

先日大人の事情で村上ショージさんについて調べていたら(=Wikipediaを読んだ)、想像以上の感動だったので感動のお裾分けをしたいと思います。


時は1970年代後半、因島で溶接工をしていたショージは、かねてからの夢であったお笑い芸人になるべく吉本入りする。そして京都の花月劇場で初舞台を踏むこととなる。以下Wikipediaからの引用です。

京都花月劇場で初舞台を踏むが、ドジョウを一匹丸ごと飲み込むという芸を披露し観客席からは悲鳴が上がってしまった。弟子であるさんまの友達の初舞台ということでこれを見物していた笑福亭松之助は憤慨し、大阪で仕事中のさんまを京都まで呼び出し「二度とドジョウ飲むなと言っとけ」と注意したという


ショージに直接言えばいいじゃないか松之助師匠!


Wikipedia村上ショージ」は、このエピソード以外にも愛あふれる記述に満ちており読みごたえがあります。疲れた時などにおすすめです。たんなるファイト一発引用記事でした。失礼します。




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