「すべては巡りあわせ」で一件落着でござる『八重の桜』第三十ニ回レビュー

1871年、京都の覚馬邸での生活が始まる。しかし、時栄とひとつ屋根の下での生活には微妙な空気が流れまくって視聴者の方がいたたまれなくなる。覚馬は「九年ぶりに皆で暮らせることになりました」と亡き父に報告するが、ミネは「皆揃ってなんかいねえ!」と叫びながら部屋から出ていき納戸に篭ってしまう。


ミネの心配をする八重に対して、覚馬は家のことは時栄に任せろと突き放す。そして国際法のテキストである『万国公法』を読むように指示する。


翌日、覚馬は京都府庁に出仕する際のお供を八重に命じる。八重は覚馬を背中に担いで府庁内を練り歩く。今まであまり八重の桜をご覧になっていない方には理解しづらいかもしれないが、八重がいかに力持ちだったかという点をやけに強調するのがこの大河の最大の特徴である。府庁の廊下を八重におぶられながら、覚馬は八重に万国公法の講義のようなことをするのだが、ここで画面下には「お前は国際法の精神を云々する前に、ひとりの人間としての倫理観を学べ!」というテロップが一瞬映しだされた。この斬新な演出には私も正直驚かされた。今後議論を呼ぶことであろう。


八重は長州出身の京都府知事槇村に初めて面会する。この槇村役を演じるのが高島兄なのだが、これが異様なハイテンションで視聴者の度肝を抜いている。「新京極には牛鍋屋が立ち並んどるぞ、モーウ、ワフワフウヒヒッヒ」といった具合だ。絶対にアドリブで「イエーイ」を入れているはずなのだがそれはさすがにカットされていた。英断だと思う。


槇村は京都再建の施策を次々と打ち出すが、その一環として万国博覧会開催を決める。八重はその準備を担当する覚馬の手伝いをするためもあり、自らも英語を学びながら、京都府がつくった女学校である女紅場の舎監兼教師となるように覚馬に指示される。しかし八重は、会津を攻めた長州出の槇村と手を組み、人が変わったような覚馬の姿勢に反発する。だが「新政府が捨てたこの都に俺は文明の街を造る。武力に押しつぶされることのねえ強え街を。会津が命かけたこの場所で俺と戦ってくれ。」と訴える覚馬の決意を耳にして、覚馬に協力することを決意する。


そしてなぜだかよく分からないが急転直下ぎくしゃくしていた家族関係も融和の気配を示す。覚馬はうらへの思いを口にして、ミネがうらに持たされた櫛(覚馬がうらに贈った櫛である)をミネに付けてやる。そして八重の母が「すべてがめぐり合わせだ」と言い放って無理やりすべてを丸く収めようとするのだが、ここでもやはり画面下に「こんな誰も悪くないみたいな猿芝居で一件落着すると思うなよ」というテロップが映しだされた。一瞬のことだったので気付かなかった方が多いかもしれないが、私は録画でコマ送りにして確認したので間違いない。いち視聴者としてはあとひと月くらいは八重やミネが覚馬に反抗して、積木くずしのような展開があることを期待しただけにやや拍子抜けした感は否めない。


そして場面変わってアメリカ。岩倉使節団が訪米しているのだが、はいここで新島襄キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!。襄は岩倉使節団の通訳を務めているが、小堺さんがロン毛姿なのでコントにしか見えない。襄はそこで女子留学生として岩倉使節団に随行していた山川捨松(山川大蔵の妹)と出会う。捨松役は水原希子。水原さんは志村動物園に出演されているのを一度観たことがあり、そのときはなかなか感じのよいお嬢さんという印象を持ったが、そんなことはどうでもいいですね。襄はやや演技過剰のミッチーから帰国を勧められるがあっさり断る。新島襄をなかなか日本に返そうとしないのも八重の桜の大きな特徴のひとつであり、やっぱりそう簡単には日本には帰さないようです。


続いて再び舞台は京都に。覚馬と会談しているのはなんと西郷どん。西郷は「おはんなら、あん土地、世のために役立ててくれっじゃろ」と言って、京都の薩摩藩邸の跡地を覚馬に融通してくれる。八重の桜は会津視点で明治維新期を描いているが、西郷には終始好意的である。


そして、八重は女紅場の舎監となるために家を出る。新しい生活が始まる。