大河ドラマ『八重の桜』第五回レビュー

この記事の所要時間:読むスピード次第です

時は安政六年。唯幻論の岸田秀に徹底的に嫌われるという名誉なのか不名誉なのかよく分からないポジションにいることでも有名なあの吉田寅次郎(松陰)は獄中から同志を鼓舞する手紙を書き続けている。大老の井伊直弼を中心とする幕府主流派は攘夷派をなんとか抑えこもうとするが、攘夷派の浪士は横浜で外国人を切りつけるなど緊張は続いていた。


その一方、会津でも衝撃の事実が発覚する。八重の兄覚馬と結婚したうら(ハセキョー)が、大根や大豆と会話ができるというスタンド使いであることが判明したのだ。八重とはほとんど会話をしないが、野菜とは楽しげに会話するハセキョーの様子が鮮明な映像で映し出される。地上デジタル放送とは一体何だったのかを考えさせられる映像であった。その様子を見つめる八重の笑顔は引きつるがハセキョーは意に介さない。しかもその直後、八重はうらが懐妊したことを知る。ひょっとすると野菜の子を受胎したのではないかという疑念を募らせる八重。カボチャの子だろうか、ほうれん草の子だろうか。八重の苦悩は深まるばかりだが、とにかく山本家はうらの懐妊のニュースで明るい空気に包まれたのであった。


しかしそのめでたい空気を吹き飛ばすような事件が起きる。不逞の攘夷派グループが覚馬暗殺のために山本家を襲撃したのだ。いきなり斬りかかる浪士。すんでのところで飛び退く覚馬だが絶体絶命のピンチ。しかしこのピンチに敢然と立ち向かったのが文字通りのベジタリアンであることが判明したハセキョー(3代目SRS格闘ビジュアルクイーン)だったのだ。


この大河史に残る名シーンをわたしの拙い文章で表現するのはおこがましいのですが、とにかく3代目SRS格闘ビジュアルクイーンのハセキョーが、覚馬を襲撃しようとする浪士につかみかかりました。エンセン井上風の特に低くない姿勢からの見事なタックルでテイクダウンを奪うとマウントポジションでパンチの雨嵐を降らせます。また、八重の弟の幼い三郎も、蝙蝠傘(大衆演劇の看板役者風の居候である川崎尚之助の横浜土産)の柄で器用に浪士の足を引っかけるという、異次元のセンスを披露して覚馬を守ろうとします。しかし、敵もさるもの、巧みに3代目SRS格闘ビジュアルクイーンのハセキョー演じるうらのパンチをかわし一瞬の隙を突いて三角絞めの体勢に入り、流れは一気に浪士側に傾いていきます。


この悪い流れを食い止めたのがやはり八重でした。この突然の危機に怯むことなく冷静に状況を把握し、三郎から蝙蝠傘を受けとると、それを覚馬に向かって放り投げ、宙に浮かんだ蝙蝠傘が覚馬の手元に渡るまでを無駄なスローモーションで魅せるという心憎いという名の無駄な演出もありつつ、覚馬は蝙蝠傘で浪士の攻撃をなんとかかわします。しかしそれでも襲撃の手をゆるめない浪士達。ここで、なんと八重がなにかを浪士に投げつけました。目を押さえて転げまわる浪士。なに投げたん?という視聴者のツッコミを全身で受け止める綾瀬さんの姿はお若いながらも既に大女優の風格を漂わせていました。SK-IIも宜しくお願いします。


さて忍者服部八重蔵が浪士達の流れを食い止めたところで、川崎尚之助が鉄砲を手に登場。幼い三郎が気丈にも傘ひとつで浪士達に立ち向かっている時にお前はこそこそと鉄砲を探しに行ってたのか!という山本家の冷たい視線から必死に逃げるように浪人たちを追いかけまわします。こうして、覚馬はこのピンチをすんでのところで逃れたわけですが、悲しいことにこの騒動によってうらのお腹の赤ちゃんが犠牲になってしまいました。


そうこうしているうちに、江戸の獄中に移された吉田松陰(寅次郎)の身にも魔の手が迫りつつありました。寅次郎は老中暗殺を企てるという大罪で華々しく散り、残された同志を鼓舞することを願いましたが、「芸能人のくせにラブホテルの会員証を持っているところを山田優に見つかった罪」という真偽不明の罪状にすり替えられた上に死罪を言いつけられたのです。


翌年、寅次郎刑死の悲しみを胸に勝海舟は咸臨丸でアメリカに向かいます。咸臨丸で「アメリカを見てくるぜ!寅次郎さん!」と叫ぶ勝海舟なのですが、生瀬さんが演じるとすべてコメディに見えてしまいフーテンの寅さんの方を思い浮かべてしまった視聴者が七万人を超えるという珍現象も生じてしまいました。


そして、その勝海舟からの手紙が会津の覚馬のもとに届きます。そこには松陰の辞世の句が記されていました。

寅ちゃんを先生と呼ぶ子らがいて神奈川県立橋本高校

「神奈川?橋本高校?」何らかの符牒だろうかと戸惑いただただ立ち尽くす覚馬であった。


同年。長かった冬があけて、春を迎えた会津では獅子舞を眺める八重らの姿がありました。待ちわびた春を味わうのどかなシーンでしたが、違う町の獅子舞集団がバッティングしてしまい、祭りにつきものの喧嘩が始まりそうな不穏な空気が流れます。野次馬も喧嘩を煽り、一触即発の状態になったわけですが、この騒乱の只中に迷子になったひとりの幼子が行き場を失って立ちすくんでしまいます。興奮する両グループの若衆はその幼子の存在に気付いておらず危険な状況となります。これを察知したのがやはり八重。ここでもやはり超人的な力を発揮します。渋谷のスクランブル交差点を三歩で渡り切るジョナサン・エドワーズを上回る大ジャンプで小高い丘から喧嘩の一群にひとっ飛びで飛び込んだのです。八重と、そこに偶然居合わせた八重の幼馴染山川大蔵との活躍で幼子は救われます。このシーンにどういう意味があったのかよく分かりませんが、おそらく後の戊辰戦争での山川の活躍を描くための単なる前ふりだと思います。はい。


さて、再び舞台は江戸に移ります。安政の大獄によって攘夷派の不満は頂点に達していましたが、ついにその不満の矛先が本丸の井伊直弼に向けられます。この井伊直弼暗殺のシーンが圧巻でした。紅白でのMISIAのアフリカロケが放ってしまった微妙な意味合いでの強烈な緊張感を上回る出来になっていました。信頼出来る情報筋からの情報によると、このシーンの監督はオリバー・ストーン。撮影はすべてテキサス州ダラスで行われそうです。雪の桜田門を出る井伊直弼の一行。その行く手を阻む浪人グループの動向をレポートするのは服部真湖。当惑する井伊直弼一行。そのとき、突然、銃声が冷たい空気を切り裂きます。籠に乗っていた直弼は腹部に手を当て、血に染まった手をゆっくり見つめます。そしてここで突然、直弼役が榎木孝明から松田優作に切り替わるという前衛的な演出。もちろんここで視聴者も一緒に


「なんじゃこりゃー」


という声が上がり、ツイッターでも「バルス!」超えをしたという。双方向性を主軸に据えたテレビ新時代の実質的な幕開けであった。双方向じゃないけど。


この井伊直弼暗殺によって幕府は大混乱に陥ります。尾張徳川や紀伊徳川などは水戸藩の関与を疑い水戸征伐を主張します。こうして、日本を二分する大規模な内乱の機運が高まります。この「水戸を討て!」という流れが幕府内で押しとどめようのないレベルにまで達したと誰もが思ったその時、会津藩松平容保が重々しく口を開きます。なんと、実行犯のオズワルドが水戸弁を口にしていたという目撃情報だけから水戸藩の関与を裏付けるのは無理があると主張し、オズワルドの単独犯行説を唱えたのです。これは流石に無理がないですか解説の落合信彦さん?そうですねCIAの関与があるのは間違いないですからCIAですかそれではベンジャミン・フルフォードさんのお考えをお聞かせ願いますかイヤイヤあんたもちろんフリーメイソンが黒幕ですよ常識でしょうとかなんとかいうやりとりを副音声で聞かせてほしいなどということは置いといて、こうして内戦に向かう大きなうねりに棹さした容保であったが、この時の容保の一言が会津藩のその後の命運を大きく変えることになるとは誰が想像できたであろうか。


第五話はここで終了。第五話終了段階で新島襄はいまだに豚の絵を描いただけという状況に同志社大学関係者の焦りは頂点に達しています。