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現代人の自由をパスタが脅かす

現代詩

いつ頃からかはっきり覚えてないですが、パスタの乾麺が100gづつ束ねてあるタイプのものが売られるようになりました。必ず日本のメーカーの商品だったりする気がしますがそれはそれとして。500g入のパスタだったら5束に分けられているわけです。大人1人前がおおよそ100gくらいと思えば便利ですね。2人の時は2束投入。5人の時は5束投入。計量の手間が省けます。いいですねえ。


しかし、これが例えば子どもがいる家庭などではどうでしょう。こどもひとりで100gまだ無理。だけど50gだとちと足りない。70-80gくらいの見当で計算したい。こういう場面があるわけですね。あるいは大人でも夏場はちょっと食欲ないし麺の量少なめで 冷製パスタっていうときがあります。実際は麺多めにしたいというときがほとんどなんですけど、匿名のくせに念のために見栄はりました。


こういう場面ではどうなるんでしょうか。100g束に拘らずに、あのパスタを束ねている小さい輪っかをはさみでちょんと切って、その場面に必要な量だけ茹でたらいいわけです。例えば家族で360gのパスタが必要だと計算したとしましょう。この場合100g束を3束を鍋に投入して、4束目をおおよそ6対4に分けて6の方を鍋に投入すればいいわけです。


ところがです。実際はそうはなりません。上の例ですとまるっと4束が投入されます。この5年ほど必ずそうなっています。実績あります。100g束に拘束される義理はないのに。「100g束に拘束される」というフレーズに自分で酔いましたスミマセン。意味分からない場合は気にしないでください。つまり、パスタ麺の量を自分の望み通りに調節するという自由が10年以上も損なわれていることになります。期間が微妙に長くなっていますがそこは勢いです気にするなかれ。


花巻出身の元祖ニート詩人ケンジ・ミヤザワは次のように問うた

諸君よ 紺いろの地平線が膨らみ高まるときに
諸君はその中に没することを欲するか
諸君はこの時代に強ひられ率ゐられて
奴隷のように忍従することを欲するか


私に「パスタは100g束で」と強いているのは誰か。巨大権力が10g単位でパスタの量を調節したいというわたしの自由を侵害しているのか。否。安倍さんがわたしに「つまり国際的な常識からするとですね、総理大臣の私がこう言ってるわけですから、つまりですね、パスタは100g単位で茹でるべきだと断言させていただきたいと思うわけです」と命じたのか。否。ハナマルキの本社がある長野県南部の都市なのか。それは伊那


世間か。世間の圧力がパスタの量を規制しているのか。ニエット。町内会の会則で「パスタは100g束で」とうたわれているのか。ニエット。4分の3拍子で比較的ゆったりとしたリズムで優雅に踊られる宮廷舞踊か。それはメヌエット


盗んだバイクで走りだしたら自由になれるのか。ノー。法に縛られているのは確かだが、法の外に自由があるのか。ノー。感情・思考などの神経活動全般を支配するというのか。それは脳。




諸君はこの時代に強ひられ率ゐられて
奴隷のように忍従しているわけではない
新しい時代のオザキよ(ジャンボじゃないぜ)
堅実なバイトをして
スーパーカブを手中におさめよ
そして法定速度でイオンに向かえ
500gのパスタを買い物かごに入れ
ワオンカードでパスタを手に入れよ(ワワン)
そして小走りで駐輪場に向かえ
他人のバイクを盗むな(悪い癖だぞ)
愛機にまたがり自宅に戻り
余りに重苦しい重力の法則から
束ねたパスタを解きはなつ
行く先もわからぬまま
5束すべてを解きはなつ
行く先もわからぬまま
そして好みの量の麺を茹でよ
ひとり145gとか
ふたりで380gとか
望みの量を茹でよ
誰にも縛られたくないと
食べ過ぎたこの夜に
自由になれた気がした?
15の夜?







帰りに束になってないパスタを買います。チャオ。