婿をとるべきか嫁にいくべきかそれが問題だ『八重の桜』第四十一回レビュー

覚馬とウラの娘のミネは熊本バンドのハンサムボーイ伊勢トキオと恋に落ちます。イエス!フォーリンラブ。伊勢TOKIOは同志社英学校を卒業後、タオル美術館のある今治でキリスト教の不況活動に従事していました。遠く離ればなれになったミネとTOKIOは、手紙と靴下を送りあうという新しい形の愛を育んでいました。


一方、ミネの父である覚馬は盟友槇村知事と袂をわかち顧問を辞任したのち、趣味の悪い髭をたくわえながらも京都府議会の議長に就任し、槇村とつばぜり合いを繰り返していました。そして明治13年、槇村は府議会を無視して追加徴税の通達を出します。議会軽視の槇村の姿勢に覚馬は反発します。覚馬は新聞の力を借りるなどして世論を味方につけて槇村を牽制します。しかしハイテンションリトルプーチン槇村は専横を改めようとはしなかった。


ここまで対立が深まったところで、覚馬は槇村と刺し違える覚悟を決める。自分も議長を辞任するから槇村も知事を辞めろと迫ったのだ。こうして槇村は、演説会を禁ずる条例廃止を置き土産にしてついに明治14年に知事職を辞する。


演説会が自由にできることになると、同志社英学校では演説会を開催することを決めた。これを機に卒業後に全国各地に散らばっていた熊本バンドも再結成することになった。熊本バンドのコーラス担当、ハンサムボーイの伊勢TOKIOも今治から京都に帰ってきた。するとこのハンサムボーイの伊勢TOKIOはいきなりミネにプロポーズをしてきたのだ。覚馬は賛成。これでめでたしめでたしと思うじゃないですか。ところがここからややこしい話になってくる。


覚馬が賛成したことにミネが反発したのだ。ホワイ? 自分は覚馬の娘として婿をとって家を継ぐからおっかさん (ハセキョー) と別れたのに、あっさり覚馬が嫁に行くことに賛成したため、自分は放り出されたと感じたというのだ。そもそも家を継ぐためにおっかさんと別れたわけじゃないだろという気もするのだが、本人がそう思ったのなら仕方あるまい。とにかくミネはTOKIOとの結婚をどうするか決めかねていた。


そんな状況で演説会が始まった。覚馬や八重の姿はあったが、ミネの姿はそこにはなかった。何人かのわりとどうでもいい話が終わった後、ハンサムボーイの伊勢TOKIOの順番が回ってきた。その時ミネが姿を現して、覚馬の隣に座った。TOKIOの演説が始まった。愛について語り出すTOKIO。しかし、せっかくいい話をしているのに、ミネと覚馬がなにやら私語を始める。考え抜いた結果、TOKIOとの結婚を決めたと言うミネ。それに対して覚馬は「どこまでも着いていけ。なにがあっても離れるんじゃねえぞ。」などと言うではないか。これは自分が裏切っておきながら京都に着いてこなかったウラを暗に批判しているのだろうか。おそらくそういう意味ではないのだが一応言ってみた。これに対して素直に「はい」と答えるミネ。すると覚馬はさらに続ける。「だけどどうしても困ったら大きな声を出して呼べ。おとっつぁまが助けに行く。」号泣するミネ。それを見て泣く我が家。


こうしてミネはTOKIOと結婚することとなる。京都の山本家から今治に旅立っていくミネ。母との微妙な関係もあり、わだかまりもあった久栄に「おとっつぁまのことどうぞよろしく。」と挨拶するミネ。「わかりました」と答える久栄だったが、そうもうまくいかないのが人生というものなのでしょうか。いらんこと言って済みません。


この頃、社会では自由民権運動に火がついていた。そして、明治14年には、十年後に国会を開設する旨の詔書が出されるに至るのだった。今週は口をあんぐり開けている場面だけの出演だった襄は、この新時代到来に呼応するように同志社大学創設に向かって動き出すのであった。