ミスホラ吹き男爵。またの名を忍者ハッタリ半蔵の大冒険『八重の桜』第四十回レビュー

明治11年になりました。全国的にはですね「民主主義だよおっかさん」という民の声に押される形で、政府は地方府県会の設立を決定しました。これによって八重の桜的には、クソ真面目なクソ野郎こと山本覚馬とテンション壊れかけガバナーこと槇村知事との対決が鮮明になります。


ある日、山本家に使いがやってきた。なんと、第一回府議会議員選挙で覚馬が当選したという。選挙?それって美味しいの?という様子の山本家であった。この当時、選挙は立候補制じゃなかったらしいです。気付いたら当選。これって面白いですね。現代日本もこの方式がいいんじゃないでしょうか。


しかも覚馬さん、第一回京都府議会において、初代議長に選出されます。これは槇村さん、面白くないです。喧嘩別れした元顧問が議会の代表ですからね。


一方、同志社英学校ですが、襄は外務省から呼び出されて「同志社英学校の廃校」を通達されてしまいます。アメリカのキリスト教団体(アメリカン・ボード)から資金が出てることが問題視されたのです。外国人が学校経営したらあかんでしょというわけです。「校長は私です」と主張する襄であったが、「ブラック学校の名ばかり校長が!」などと罵られます。とりあえず、この問題は「資金援助は個人で受け取る」という、そっちの方がずっと問題じゃないかという形で切り抜けたのだが、今度は別の面倒くさい問題が出てくる。


創立四年が経過して初めての卒業生を送り出すことになった同志社英学校であったが、卒業生15人のうち6人しか牧師にならない事が、外国人教師にとっては大きな不満の種となっていたのだ。部外者の自分には一年に五人もでもさあ、牧師は説得されてなるものでもないでしょうと言う襄であったが、それに対して、あんたは校長にむいてない!などと罵られてしまう。同席していた八重は懐の拳銃の引き金に指をかけるが、すんでのところで理性というストッパーが作動した。


そんな中、同志社英学校の第一回卒業式。祝辞を述べる襄。「私がよい教師であったのか分からないが、10年後20年後の皆さんの姿が私がどのような教師であったのか、教えてくれるのだろうと思う。Go, Go, Go in Peace. 同志諸君!己の信じる道を歩んでいきましょう。」


同志社英学校を始めて巣立っていくのは、あの熊本バンドのクソ学生たちであったが、みんな感動して泣いている。おい、お前ら襄を辞めさせようとしてたやん! まったく調子のいい連中だな。


一方、新島家にはもうひとつ波乱含みの展開があった。上州安中から襄の両親がやって来て、同居を始めるというのだ。襄は親にも告げずに盗んだバイクでアメリカに渡ってしまった過去があり、両親との関係はギクシャクとしている。襄の両親は、襄と八重の関係を理解しようとしないクソ両親かと思われたが、実は意外にいい感じの人だったみたい。


八重は義父の口から、襄の額の傷が、木から落ちて死にかけた時に出来たものだと聞かされる。そしてこれが今回放送分の重大なネタふりとなる。


ある日のこと。八重は、学生らが「襄先生は、外国人教師に自分の考えを断固として主張できないヘタレ野郎だ!」と噂しているのを耳にしてしまう。これを聞いた八重は悔しさのあまり「襄の額に傷痕があんべ。あれは函館からアメリカの船に密航する時役人と戦って出来た傷だ!」と、誇張とかそういうレベルではないワンピースのウソップ並みの純粋な嘘をかましてしまう。この話は本来ならば、「嘘つけ!」という学生の一言で終わる話だったのだが、単細胞の学生はなぜかこれを真に受けて、なぜか襄を見直すようになる。あまりの反響の大きさにあわわわわわわわわとなる八重であったが、もう後戻りできる線は超えてしまっていた。


この直後、同志社では、牧師を増やすために牧師育成クラスを新たに設けるという話が持ち上がる。だが、そうなれば教師が足りなくなるため、現行の上級生クラスと下級生クラスを合併しなければならないという。襄は乗り気ではなかったが、このままでは、アメリカンボードからの資金援助がひきあげられて学校経営は立ち行かなくなってしまうということで、襄は苦渋の選択を迫られる。結局、学校が潰れては元も子もないということで、襄はその案を飲むことを決める。


ところが今度は学生の方から不満が噴出する。襄先生を信じていたのに!ということで熊本史上最大のイケメン徳富蘇峰らが中心となり、授業をボイコットするる。まったくどいつもこいつもキリスト者のくせに。隣人を愛しなさいよ!


襄は意を決して、ストライキを起こした学生たちを教室に集める。その席で襄はまず、学校存続のため、クラスの合併はせざるをえないと告げる。落胆するハンサムボーイの徳富君。襄は決定に至る説明が不十分であった点を学生に率直に詫びる。しかし、その一方で、学生が授業を放棄した点については大きな過ちであったと厳しく非難する。そして、(1)過ちを犯したことに対する罰は受けねばならない。(2)全ての過ちの責任は校長の私にある。(3)よって、私が罰を受ける、という仰天の三段論法を用いる。



そして襄は、おもむろに左手を教卓の上に乗せ、右手に持ったステッキで、突然自分の手の甲を打ちはじめた襄。狂ったように力いっぱい自分を叩き続ける襄。それを見てドン引きする教師と学生。熊本バンドのウッドベース担当である徳富君は怖くなって止めに入る。


その晩、襄の手当てをする八重。なぜあんなことを?と襄に問いただす八重。しながら、八重は自分の嘘を詫びた。襄は「信念のためなら断固として闘う強い人になろうと思ったんです。生徒たちが、この傷痕を刀傷だと勝手に噂を広めたもんだから…。」と答える。

「ごめんなんしょ。襄の傷の事、嘘かましたのは私」

「えっ?」(大河史上最大のキョトン)

「つい・・・。」

「つい?」



この後、熊本バンドのコーラス担当の徳富君が、退学を申し出たきた。学校を辞めて新聞記者になりたいというのだ。卒業まで待てないのかと引き留める襄であったが、熊本バンドのマネジメント担当の徳富君は、この激動期の日本で一日も早く記者の道に進みたいと言う。そして「先生が函館で役人と戦った時も、こぎゃん気持ちだったとじゃなかですか?」と熱い気持ちをぶつけてくる。


蟹のように泡を吹いてぶっ倒れそうになりながら、八重は真実を話そうと口を開いた。しかし、なんと襄はそれを制止して答えた。


「ええ。そうかもしれません。」


熊本バンドの広報担当の徳富君から最後のメッセージを求められた襄は「タイ人にならんと欲せば 自らタイ人と思う勿れ」という東南アジアに伝わる格言を送り、熊本バンドのサックス担当の徳富君を温かく送り出すところで今回放送分は終了。同志社を出ていった熊本バンドの総務担当の徳富君であったが、彼らの友情はこの後も続いて行くのでありました。


今回は八重の嘘が大問題に発展するという可愛いストーリーでたいへん楽しゅうおました。