「ここに女が紛れておるぞ!」『八重の桜』第二十九回レビュー

戦況は悪化して、東北諸藩は次々と降伏する。兵糧が尽きかけた会津は補給路再開のための決死隊を組むが、そこに八重の父権八も参加することとなる。


山川大蔵は冬が来れば戦況も変わると主張して強気の姿勢を崩さない。しかし、冬まで持つとは思えないほど攻撃は激しさを増していた。


そんな中、秋月が密命をおびて城外に出る。容保はついに降伏を決断したのだった。秋月は敵の陣所に駆け込み、降伏の嘆願書を渡そうとするが、土佐藩士にいびられまくる。それでもなんとかして板垣退助に嘆願書が渡る。降伏嘆願は受け入れられ、城への攻撃は止まった。


決死隊に参加した権八は首尾よく米を持ち帰ることに成功するが、入城直前に敵の銃弾を浴びてしまう。城内に運び込まれた権八は八重に「ぬしはわしの誇りだ。皆を守れ」と言い残して死んでいく。


翌日、藩士達に降伏の内容が伝えられた。会津は恭順し、城を明け渡す。15歳以下、60歳以上、女はお咎めなし。藩士は猪苗代の謹慎所に移されることとなった。


容保は城内の一室に藩士を集め、藩士にこれまでの労を労うとともに頭を下げる。「この一命をもって会津を守る。なにがあっても生き延びよ。最後の君命じゃ。」と申し伝える。


それに対して、八重は「殿様には生き延びてもらわねばならねえ。会津は逆賊ではねえ。それを証明できるのは殿様しかいねえのです。だから、なにがあっても生きてくだせえ」と必死に懇願するのだった。降伏式は大手門の正面でとり行われ、その後容保は謹慎所に移された。


官軍に明け渡すことが決まった城を会津の女たちが綺麗に掃除している。大蔵の姉の双葉は、「なぜ引き渡す城を掃除するのか?」という妹の問いに「戦には負けても、誇りはなくしてはならねえ。綺麗に渡さねば会津の女の恥だ」と答える。この後、入城した板垣が、磨きあげられた廊下に気付いて驚く場面が挟んであったりして、このあたりの演出は非常に細やかだと感心しました。


明治元年九月二十三日、鶴ヶ城開城。官軍の兵が続々と入城する。猪苗代の謹慎所に移される予定の会津の藩士達は城内の一室に集められる。そこには八重の姿もあった。戦闘部隊の一員として男達と同じ処分を受けるつもりであった。そして、いよいよ連行されるというその時、突然庄之助が声を上げる。「ここに女が紛れておるぞ」。八重を助けるための一手だった。なるほどこういう展開にするわけですか。これによって八重は城に残され、庄之助と引き離されることとなった。というところで今回は終了です。



今更ですが、たかだか150年前に日本でこんなことが実際に起きたということが信じられません。ここまで八重の桜を観続けていて、生き残った容保のことを一番よく考えているような気がします。会津視点で明治維新を描く場合、容保を描くのは非常に難しいだろうなと思っていました。なぜならば「会津の悲劇」において、容保は被害者であると同時に加害者でもあるはずだからです。このバランスにおいて、八重の桜では「被害者」という軸に傾きすぎてたかなというのが私の感想です。いずれにせよ、これで長かった会津戦争も終結しました。実際に籠城戦は一ヶ月程続いたということなので、あんまりさらっとは描くべきではないという判断だったのかもしれません。