大河で戦闘シーンは難易度高いです『八重の桜』第二十七回レビュー

重い展開でなかなか言い出す機会がなかったのですが、板垣退助役の加藤雅也さんがますだおかだの岡田さんにしか見えないという悩みを抱えながらドラマは進みます。


髪を切った八重は夜襲に参加して、往年のクリント・イーストウッドばりに撃ちまくります。会津戦争全体から見るとあまり意味のない場面だと思いますが、さりとて主役を出さないわけにもいかず難しい展開です。


今回放送分のヤマ場のひとつは中野竹子らの女子部隊の出陣でした。大河の戦争シーンというのは難しいです。プライベート・ライアンみたいなことしちゃうとゴールデンでは放映できないでしょうし、水戸黄門みたいなベタな立ち回りでも白けてしまうでしょう。


そうこうしているうちに小田山にある火薬庫が政府軍に奪取されてしまいます。これでは銃も大砲も使えなくなります。ここで頼母が改めて開城恭順策を説きますが、他の家老たちからは「腰抜けだあ!」などと罵声を浴びます。恥を忍んで恭順を説く頼母を善として、無策にもかかわらず徹底抗戦を説くその他の家老一同を悪役として描いているようにも見えます。


この後、城内の夜回りをしている八重が頼母と鉢合わせする場面がありました。「ここで何を?」と問う八重に「月明かりで、見てえものがあったんだけんじょ、月は出てねえ」と答えます。八重は白虎隊の動向を知っているかと頼母に尋ね、自分が銃を教えた少年がその腕を買われて入隊した責任を口にします。それに対して頼母は、白河の戦いで兵を率いて敗れた自分は責任をとって腹を切らなければならないところだが、死んだ者達の無念の思いが自分にのしかかって腹を切らせない、死んでいった者達が「生きて会津を守れ」と言うのだと、「腹を切らない理由」を八重に語りかけます。大義に従って潔く散る美学に対するひとつの答えでしょうか。八重と別れた後、頼母は八重が置いていったろうそくの明かりを頼りに、亡き妻の辞世の句に目を通して涙します。潔く散っていった妻や娘たちとの対比で、あえて生き残ることの苦しさも伝わって来ました。頼母が生き残った理由というのは実際にはどうだったのかは誰にも分からないことですが、ドラマとしてはここは今までの放送の中で一番良いシーンだと思いました。


この後、頼母は再び容保に開城恭順を決断するように談判します。しかし容保は、頼母に対して「城を出て越後の萱野権兵衛(柳沢慎吾)のもとへ行き、城(鶴ケ城)には入らずに、その場にとどまり戦えと伝えよ」と命じる。これをどう解釈するかは色々な見方があるようですが、八重の桜では容保も容保なりに会津の未来を考えていたというような描き方にしていく感じなのかなとも思いました。


そして後半のヤマ場は「知恵の大蔵」による彼岸獅子に紛れての入城でした。敵に包囲された城に、援軍として無傷で入場するための秘策でした。八重の桜の前半に出てきた彼岸獅子のシーンが壮大な前振りになっていて大河らしい演出でした。大蔵はガンダムのアムロみたいなファッションで、徹底して濃ゆい人物として描かれているのが印象的でした。