ドラマと史実の境界について『八重の桜』第二十六回レビュー

新政府軍は一気に鶴ケ城に迫る。この事態に女も子供も鶴ケ城に入城する。城内にはもう精鋭部隊は残っておらず銃の部隊を指揮する者もいない。そこで八重が銃の部隊の指揮をかって出る。官兵衛も神保内蔵助も「おなごの出る幕じゃねえ」「おなごに戦はできねえ」など最初は相手にしないが、八重の「男もおなごもねえ、これは会津すべての戦いだ」という大演説を聞いてコロッと気が変わる。ほんとにこんな場当たり的な対応だったのだろうか。そういえば二本松少年隊のことを調べていたら、戦況が悪化するたびに戦闘に参加させる年齢をどんどん引き下げられていったという解説をみたが、戦いの指揮をとる側の対応としてはそういうのは最悪だと思う。


八重ら鉄砲隊も城を死守すべく奮闘するが敵の凄まじい攻撃は続く。戦況が悪化する中、会津城下の頼母の屋敷では一族の女たちが白装束を身につけていよいよ覚悟を決めていた。頼母の妻千恵は「会津は罪もないのに罰せられて、無念を飲み込んで恭順した。それにもかかわらず敵は会津を滅ぼしにきた」と政府軍の攻撃の不当性を非難する。会津の人にとっては本当にそういう気持ちだったろうと思う。頼母の母が「みんな覚悟はいいか?」と問いかけると女たちはみな頷く。しかし、まだ幼く事情が飲み込めない小さな娘が「今日はなにをすんですか?」と心配そうに千恵に問いかけていた。


頼母は城の防衛のために敵の攻撃をかいくぐって入城する。次々と指示を飛ばす頼母の前に頼母の息子の姿が。
「なしてここに?」
「母上からお城で父上と共に働けと言われました。」
「ひとりでここに来たのか?」
「母上も妹達もみな家に残りやした。」

このやりとりで頼母はすべてを察したようであった。


会津軍は奮闘するが政府軍は着々と城に迫る。参謀の板垣退助は城の目前にある屋敷に陣取ることに決める。ひっそりとした屋敷内に入るとそこには頼母一家の凄惨な姿があった。頼母の一族郎党21名が自決したという。またこの日自決した藩士家族が200名にのぼったという。ここで「女たちの無言の抵抗は凄惨を極め征討軍の士気を鈍らせた」というナレーションが入る。これはこの女たちの自決が戦闘において「機能」したという解釈とも受け取れるがどこかにそんな証拠でもあるのだろうか。細かいことかもしれないがやや気になった。


続いて、飯盛山にいた白虎隊も覚悟を決める。壮絶な無残な最期であった。ドラマでは、追い込まれて追い込まれての自決という感じではなかったが実際はどうだったのだろうか。


戦況がいよいよ悪化する中、家老の田中土佐と神保内蔵助も自刃を決意する。腹を着る前に「今切る腹をあん時(京都守護職を受けた時)に切っておけば。家老一同腹切ってお断りすれば会津はこんな道を辿らずにすんだ」と述懐する土佐。しかし内蔵助(容保に恭順をそそのかしたとして詰め腹を切らされた修理の父)は「俺たちは徳川のためでも幕府のためでもなく会津のために戦った。これ以上の名誉はない。」とつぶやく。ふたりは「生まれ変わる時はまた会津で」と言い残して自刃する。ここも非常に印象的なシーンだったのだが、死が責任もなにもかもすべてを洗い流してしまうような趣もあり複雑な気持ちになった。


城内の八重は引き続く鉄砲隊を率いて奮闘する。なんか反町が討たれてるし。そこに尚之助も大砲を持って合流し城下に迫る政府軍に応戦する。ドラマではこの後、板垣らが一気に城を落とす方針をあきらめて包囲戦に切り替える決断を下す。NHKの「八重の桜」の「あらすじ」を確認すると、次のような記述があった。

新政府軍の大山(反町隆史)らは、鶴ヶ城へ向けて一気に兵を進めるが、城内からの精度の高い射撃に進軍を阻まれる。

http://www9.nhk.or.jp/yaenosakura/outline/story26/

ここでもまた八重らの活躍が戦闘において「機能」したことを強調している。ドラマなんだからという気もしないでもないが、あの銃器の性能と急ごしらえの鉄砲隊が戦況全体に大きな影響を与えたという設定は荒唐無稽過ぎないだろうかとも思うのだがこれも史実としてはどうなんだろうか。


その夜、八重は夜襲に参加するために髪を切る。劣勢の中、城を守るため戦い抜く決意をするのであった。ここで今回は終了。





余談になるが、さきほどもふれたNHKの「あらすじ」には次のような記述もあった。

戦場に赴いた少年も、城下に残った女性も、それぞれの戦いに幕を下ろす決断をする今回。会津藩士としてのプライドを胸に逝く白虎隊。会津の女性として並々ならぬ覚悟を見せる西郷頼母の妻子たち。今も語り継がれる、悲しくも誇らしい会津の歴史が描かれます。


確かにあの壮絶な死が鮮烈な印象を残すのだが、現在に生きるわれわれが逡巡なく「悲しくも誇らしい歴史」と表現してしまっていいのだろうかというもやもやとした気持ちも残る。どんな人間であってもその死を冒涜していいはずはないが、だからといってすべてをうやむやにして「誇らしい歴史」と括ってしまうことが、何も分からないまま「今日はなにをすんですか?」と言いながら命を絶たれたあの少女の無念を晴らしたことになるとは到底思えない。