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冬が来る前に『八重の桜』第二十五回レビュー


さて八重の桜も二十五回目の放送が終わり、今晩(6/30)の放送が第二十六回ということになります。実は幕末から明治維新にかけての歴史には昔からなぜか興味が持てなかったのですが、八重の桜を見てふむふむへえへえと少しは考えるようになりました。遅まきながら、やはりもの凄い時代だったんだなあと感じております。例えば戦後の日本が空前の平和を享受しているとはいえ、それでもまだ戦争を体験した人を相当数抱えている社会ということになります、八重さんの時代というのは基本的に実戦を経験した人がひとりもいない社会だったわけですよね。西郷隆盛板垣退助などは実戦経験豊富な戦争のプロのように錯覚してしまいますが、彼らにしてもここ何回かの八重の桜で描かれている戦闘が生まれて始めての実戦経験だったのです。こんな当たり前のことですけど、一体どういう空気が漂う時代だったのかなあなどと想像しようとしながら、でもまったく具体的には想像できないまま八重の桜を観ている次第です。


それから、ついでに前回の記事の付け足しという意味もかねて言うと、この八重の桜が会津寄りの視点で描かれているということ自体にはもちろん文句はないのです。ただ、たとえばひとくちに会津の悲劇と言った場合にも、容保の悲劇と白虎隊の悲劇は次元の異なるもののはずです。同じ会津藩の家老でも恭順派の悲劇と主戦派の悲劇もまたまったく違う側面を持つでしょう。そして同じ主戦派の中でも、誰のために何のために戦おうとしたのかというフィルターを通せば自ずと異なる景色が見えてくるのでしょう。それを一緒くたにして「会津の悲劇」とひとまとまりに描いてしまっては、これまでの「勝てば官軍」式の表現の単なる裏返しになってしまいます。個人的にはそのあたりの重層性がどのように描かれるのか、おおよそそんなことを注目しながら観ています。前置き長嶋一茂になってしまいました。





さて前回までに新政府軍は二本松を攻略して会津に迫っておりました。時は1868年8月(今の暦だと10月)。会津にはすでに寒さが忍び寄ってきています。占拠した二本松城では、板垣退助草間彌生のコスプレ、大山弥助は欧陽菲菲のコスプレを楽しんでいますが、実はそんなことしてる場合ではない。冬が来る前に会津を叩く必要性を訴える板垣であった。Wikipediaの「会津戦争」には以下のような解説がある。

二本松領を占領した新政府軍では、次の攻撃目標に関して意見が分かれた。大村益次郎は仙台・米沢の攻撃を主張し、板垣退助と伊地知正治は、会津藩の攻撃を主張した。板垣・伊地知の意見が通り会津藩を攻撃することとなった。

ちなみに、大村の名前はベネディクト・アンダーソンの『想像の共同体』でも見ることができる(第六章「公定ナショナリズムと帝国主義」の注記にやや唐突に出てくる)。そこでは大村は「西欧の軍事研究、とくにナポレオンの戦略・戦術的革新に関する翻訳により名声を得た」と紹介されていますが、先ほどのwikipediaの記述だけを見る限りでは冬将軍の厄介さをあまり考慮していないようにも思えて興味深いところです。大村の意見が通って会津戦争が越年していたら会津の運命は一体どうなっていたのだろうかと思わなくもありません。ちなみにまったくの余談ですが、大村益次郎の肖像画をみると異様に前頭葉が発達していて、小山ゆうの漫画のキャラクターを彷彿とさせます。ほんとに余談で済みません。


さて、山本家。籠城戦の招集に備えて銃の部品などを整理する尚之助と八重パパ。八重パパの手には、まだ幼かった八重が、八重パパから禁じられていたにもかかわらず秘密で銃について学んでいたときのスケッチが握られている。当時を思いだし感慨に耽る様子の八重パパは、そのスケッチを懐に入れる。そしてそれを黙って見つめる尚之助。


会津の薙刀道場。道場主の六平さん病に伏せってがっくり。黒木メイサは女性陣を募って薙刀隊を結成。照姫を守ると意気込む。八重も誘われるが、その場では八重は口を濁す。この後、剛力さんと二人きりになった八重は「薙刀では薩長は倒せねえ」とつぶやく。薙刀などの前近代的な体制では近代戦は戦えないという八重の合理的精神を示唆する描写であろうか。しかし、少なくとも後づけ的に見れば、銃火器の性能に関して新政府軍が会津を圧倒していたのは明らかであり、薙刀で戦うのが精神主義で、銃で戦う八重は合理主義というように捉えるのであればもちろんそれも間違っている。


8月20日。新政府軍による会津城下到達の三日前。会津藩の最高幹部が集結した場で、容保の口から官兵衛と大蔵の家老昇進が伝えられる。いよいよ徹底抗戦を決めたということだろうか。容保は万一母成峠を破られたら藩士を城に招集せよとの命を出す。そして、その折には頼母にも登城を命じるようにと指示を出す。この時の秋月の表情が印象的だった。


京都薩摩藩邸。西郷隆盛中村半次郎。西郷は私怨で会津を叩きのめすのは良くないと考えていたように描かれている。でもまあバファリンの半分は優しさかもしれませんが、会津討伐の半分は私怨でできていたのではないでしょうか。


8月21日。新政府軍は守りが手薄だった母成峠を突破し、領内に侵入する。会津軍は猪苗代城に後退。


8月22日。十五から六十歳までの男子全員に登城命令が出る。ここで八重が八重パパにお伴させてくれと懇願する。しかし権八がそれを許すはずもない。それでも食い下がる八重に八重ママが頬を打ってたしなめる。最終的に八重は権八と尚之助に「ご武運を」と言って深々と頭を下げた。


ここで「城下への敵軍の侵入を絶対に阻止したい会津軍は残り少ない兵力の投入を余儀なくされた」みたいなナレーションが入る。やはり会津としてはそれ以外に選択肢がなかったという描き方のようだ。先週から細かいことをうだうだ言って恐縮ですが、こういう描き方は非常に宜しくないというのが私の立場です。


新政府軍の攻勢は予想以上で、会津軍はあえなく猪苗代城から敗走。ここからはもう会津は完全に後手後手にまわってしまう。新政府軍の会津若松城下への侵攻を防ぐために、城下への侵入の関門となる十六橋を破壊する予定であったが、十六橋は強固な石造りであり破壊に手間取る。そんな大事なとこやったら崩しやすくしとけよとか思いますが、前述のとおりやはり敵からの侵入とかそもそも念頭になかったわけですかね。


こうした戦況に容保自身も出陣を決意。城を出て十六橋近傍の滝沢本陣で指揮を執ることとなり、白虎隊が容保の護衛につくこととなる。ここでもまた、劣勢につぐ劣勢で、「城内には精鋭部隊は残っていなかった」というようなナレーションが入る。穿ちすぎかもしれませんが、「残っていなかったんだから仕方がないよね」というようにも受け取れてしまう。


新政府軍の進撃は予想以上であり間もなく十六橋が突破されたとの知らせが入る。これで戸ノ口原を破られれば新政府軍に容易に城下に入られてしまう。戸ノ口原を守るためには本陣をさらにふた手に分けることになる。こうなると白虎隊に出陣させる必要が出てくる。苦渋の表情を浮かべる容保であったが、ついに白虎隊士中二番隊に出陣の命を下す。また、城下の領民には籠城の準備をするようにとの指示を出す。白虎隊は戸ノ口原で野営。


8月23日早朝。ついに戸ノ口原にも新政府軍の攻撃が始まった。


山本家では皆が慌ただしく城内に入る準備をしている。そんな中、八重は三郎の形見である軍服を身につける。「今からわたしは三郎だ。私は戦う。」いよいよ八重の戦いが始まるというところで今回は終了でした。


今回の放送分で言うと、権八が八重が幼いころに描いた銃のスケッチを懐に入れるシーンや、権八と尚ノ助の出陣の際に八重が「ご武運を」と言いながら深々と頭を下げるシーン、頼母の出陣のシーン、女中のお吉が覚馬の娘のミネを抱きしめて泣くシーンなど、ジーンと来るシーンが多かったですね。こういう家族間の情愛などを細やかに表現するシーンが多くてそういうあたりは流石だなと思う一方、義とか情けとかに絡め取られて個々の意思決定の妥当性とか合理性がやはりうやむやになってしまう傾向があるのかなとも思います。あえて残念な点を指摘すれば、あの状況下では白虎隊の出陣は避けられなかったというようなニュアンスが全体として色濃く出ているところでしょうか。嫌ならみるんじゃねえという感じですが済みません次回も観ると思います。次回はどうなるんでしょうか。新島襄は帰国を諦めてブロードウェイで屋台のサンドイッチ屋かなにかを始めているのでしょうか。まったく連絡が取れません。消息をご存知のかたは早く帰国しないと黒田官兵衛になっちゃうよとお伝え願えますでしょうか。