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悲劇の描き方について『八重の桜』第二十四回レビュー


新政府軍の進軍は続く。奥羽越連合軍は、新政府軍に奪われた白河小峰城をなんとか奪還しようと試みるが、大砲や銃などの兵器類の性能、物量に圧倒的な差があり、あえなく失敗に終わる。


そして白河小峰城を拠点とする新政府軍に板垣退助が合流する。板垣や大山弥助は白河から奥州街道を北上して本丸の会津を落とす算段を立てる。この奥州街道から猪苗代湖を迂回して会津に入るルート上に二本松が存在する。


そして、奥州街道で二本松の手前に位置する棚倉の落城が伝わると、西郷頼母は白河から会津に戻り、家老一同の切腹を条件に新政府に今一度恭順を願い出るように容保に願い出る。しかし、容保や他の家老たちは口々に今更恭順などできるわけがないと言う。恭順がもはや無理なのであれば、もっと軍備を供給してくれと頼母は要求するが、そのための費用は底を付いていると返された頼母は思わず「あのとき一刻も早く都を出ていれば・・・」と口にしてしまう。結局これにより頼母は白河総督の任を解かれてしまう。こうして恭順派はパージされていった。


そして1868年7月29日。新政府軍が二本松に迫っていた。二本松少年隊を率いる22歳の若き隊長木村銃太郎は「二本松は同盟の信義を貫く道を選んだ。誇りを持って戦え」と少年兵を鼓舞する。少年らは勇敢に新政府軍を迎え撃つが、兵器類の性能の違いは明らかであった。新政府軍の攻撃が始まるとすぐに劣勢が明らかとなる。隊長の木村銃太郎は副隊長の二階堂に「子どもたちを頼む!会津まで逃してやってくれ」と頼む。そして自らは子どもたちの盾となって銃撃を浴びて倒れる。


町まで逃れた少年隊であったが、そこで銃を持った薩摩兵に遭遇してしまう。しかし、薩摩兵も戦場に少年がいることに気付き当惑する。そこにやってきた大山弥助は麾下の薩摩兵を制して、少年たちに向かって「よう戦うたな。早う、家せ帰らんせ。」と言い放ってそのまま立ち去っていった。


しかし今度は長州兵が現れて発砲してきたのであった。二階堂は被弾して倒れ、少年隊のひとり篤次郎も被弾してしまう。相手が子どもであることに気づいた長州兵は、残りの子どもたちには手を出さずに立ち去ろうとする。しかし、八重と尚之助が二本松を訪れた際に「だるま」をプレゼントされた少年才次郎が、着物の下からそのだるまを出して「勇気を出せ!」と自らを奮い立たせる。そして才次郎は、長州兵に切りかかり、油断していた長州軍の隊長を刀で刺す。しかし、この直後になだれ込んできた別の長州兵の銃撃を受けて才次郎も被弾してしまう。



負傷した二本松少年隊はなんとか会津の日新館まで逃れる。知らせを聞いて急いで日新館に駆けつけた八重は、生き残った少年たちから銃太郎や二階堂の死の知らせを聞く。そして息も絶え絶えの篤次郎の姿を目にする。死の床で篤次郎は八重にだるまを差し出し、「才次郎の・・・」とだけ言い残して息を引き取った。二本松少年隊は12歳から17歳で構成され、この戦いで隊長の木村銃太郎を含めて16名が命を落としたという。





「少年兵の死」という記号は、相異なるふたつの側面を持つ。ひとつは「あってはならない悲劇」として、すなわち存在すべきでないものとしての側面。いまひとつは、「なくてはならない悲劇」として、すなわち我々の社会になくてはならなかった尊い犠牲としての側面である。生命に最大の価値をおくことが自明視されるのであれば、いきおい愛する者を守るために自らの命を投げうった者たちが最上の価値を持つ存在となる。ましてや、本来庇護されるべき対象であるはずの少年らが犠牲になったとすればその価値はますます高まることになる。そしてこの矛盾したふたつの側面は、どちらか一方に焦点をあわせれば、もう一方は自ずと背景に退くというような形でしか認識されない。


例えば二本松市のウエブページ内にある二本松少年隊を紹介するページには「明治維新の夜明け前に、愛する郷土そして家族を守るため、激戦の末に可憐な花を散らし、義に殉じた少年隊士」と書かれている。もちろん、ここに「あってはならない悲劇」という視点がまったく読みとれないと言っているわけではない。しかし、「義に殉じ可憐な花を散らした少年兵」という枠組みのみが与えられれば「なくてはならなかった悲劇」という側面が自ずと浮き上がってしまうのだ。「二度とあってはならない悲劇」という側面に焦点をあわせようとするならば、その犠牲の悲しみにだけ光をあてるというのでは不十分なのだ。


「二度とあってはならない悲劇」という側面に焦点をあわせようとするならば、少年たちが戦場に立つということの「異様さ」を描く必要がある。その異様な状況を生み出した力を描く必要がある。例えばそれは「少年たちが戦場に立つことを禁じなかったのは誰なのか?」あるいは「なぜそれを禁じることができなかったのか?」という視点であろうと思う。しかし、残念ながら、少なくとも今回の放送については、そうした視点は皆無であったように思う。少年は「志願」して雄々しく戦って散っていったのであって、大人たちがそれを強制したわけではないというわけだ。


しかし、大人たちは「戦闘に参加してはならない」と少年に強制することは可能であったという当たり前の事実がある。それが可能であったにもかかわらずそれをしなかったのだ。時間の制約があるから史実のすべてを描けるわけではないというのは確かにそうかもしれない。しかし、あえてこんなことを指摘するのは、「少年を戦場に送ることの異様さ」を描く視点が欠けているということが、たんなる偶然では説明できないような気がするからだ。我々の社会には、いまだに、「少年が戦場に立つことの異様さ」を前面に出すことを押しとどめる力が作用しているのではないだろうか。「愛する郷土そして家族を守るため、激戦の末に可憐な花を散らし、義に殉じた少年隊士」だけが前面に出て、それを生み出した力、それを押しとどめられなかった力(の弱さ)は常に背景に退いている。


そうして振り返ってみると、今回の放送分に限らず、「八重の桜」では、全般に責任の所在を曖昧にするような表現が多いと言えるかもしれない。確かにそれは悲劇だけれどもあの時にはそれしか選択肢がなかったのだというような描き方が多いのかもしれない。安易に誰かを悪者にして一面的な表現にすることを避けたいという意図かもしれないし、日曜八時の大河ドラマが最大公約数的になるのは宿命なのかもしれないけど。しかし、我々がいまだに少年の死という悲劇を小奇麗にパッケージングして、都合よく消費しているだけであるならば、こうした悲劇を二度と繰り返さないという誓いはいずれまた簡単に破られてしまうような気がしてならない。


だらだらと長くなってしまった。次回はついに白虎隊出陣です。白虎隊はどのように描かれるのであろうか。