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アベンジャーズとはいったいなんだったのか?

合法的にアベンジャーズ観てそのストーリーの本質を的確に報告した前々回の記事に対して本当はアベンジャーズ観てねえんじゃねえか糞野郎などと口汚く罵られたことに思わずカッとして我を失って書いた長文の反論が前回の記事だったのだが我を失って書いたにもかかわらず論理的にはわたしがアベンジャーズを観たということで間違いないという結論に至ったというのがここまでの要約的な表現になろうかと思う。とは言え「カッとして我を失う」というのが怖いのは当然として「カッとして我々を失う」という方がより怖いよねという点も同時に指摘しておくのが人の道であろうとは思っている。


やや脱線してしまった。もちろんわたしはその長文の反論がもたらした結果に満足したしホッケをこがすという家庭内でのささやかな失態を演じホッケもまともに焼けねえのかこの糞野郎というこれ以上ないほど冷たい視線を浴びたとはいえ概ねわたしの名誉は回復されたとみるのがその筋では一般的であろうことも私の満足に拍車をかけていることは何人も否定できまい。


ところがこの史上最高レベルの満足感(しかもそれに拍車がかかっていたことにもう一度注意を促したい)に浸りながらネット民にマスゴミ糞野郎などと口汚く罵られている民間テレビ放送などを呑気に観ていたところ突然脳天に小田原蒲鉾よりも巨大な稲妻が落ちたような衝撃を受け画面に釘付けになったのはこの私であるということも率直にここで認めておく必要が有るという判断をくだしたのはいつの日であったか今となっては定かではない。


もちろんこのオロナインよりもエッジの効いた稲妻が落ちたかのような衝撃というのはおそらくマイティ・ソーの仕業であろうと一瞬で理解するほどには賢明な私ではあったがその後数日はその衝撃がもたらす威力から逃れることはできなかったし逃れるべきでもなかったし実際に逃れたところでどうにかなるわけですらなかった。


あのときテレビ画面に映しだされた映像がわたしの心象風景形成に関与するおそらくは多数存在するタンパク群の大幅な増大あるいは減少により劣化コピーされ猪木の延髄斬りのような鈍い痛みのごとくわたしの中に居座り続けるかぎりにおいてわたしは私自身に次のように問い続けざるをえないだろう。


あの日あの場所で私は本当にアベンジャーズを観たのだろうか?(続く)