拡散に希望はあるのか?

気のせいだろうか。最近のツイッターで「拡散希望」というフレーズをすっかり見かけなくなってしまった。あれほど情熱的に拡散を希望していた人々はいったいどこに消えてしまったのだろうか? 当初の希望通りに拡散されたのを受けてもうすっかり満足してしまったのか? あるいは、いくら拡散を希望したところで思うように拡散されるわけではないと気付いて拡散を希望するのを止めてしまったのだろうか?


ちがう。ちがうだろ。そんなことは拡散を希望することを止める理由なんかにならないだろ。思い出して欲しい。何かを拡散することを希望したわけじゃないだろ。拡散自体を希望したはずじゃなかったのか。拡散を希望することを拡散したかったはずじゃないのか。拡散希望が拡散されることを希望したかったはずじゃないのか。そうだろ。だったらもっともっと拡散を希望しろよ。


イエス・キリストは言った「望みをいだいて喜び、患難に耐え、常に拡散しなさい。」 マルチン・ルターは言った「拡散は強い勇気であり、あらたな意志である。」
ジャン=ジャック・ルソーは言った「生きるとは呼吸することではない。拡散することだ。」
マルクスは叫んだ。「プロレタリアは束縛の鎖以外に失うものはありません。プロレタリアには勝ち取るべき世界があるのです。 万国の労働者諸君、拡散しよう! 」
全盛期の宅間伸も「かくさん、かくさん」と叫んだ。みんな多かれ少なかれ拡散したじゃないか。拡散を希望したはずじゃないか。


もっと拡散を希望しろよ。ヨジラーは4時に起きて7時まで拡散を希望しろよ。そして昼まで寝ろよ。エバーノートにたっぷり情報を溜め込んでは拡散を希望しろよ。そしてすべてを忘れろよ。ドラッカーを読んでは拡散を希望しろよ。そしてもしドラをブックオフに売り飛ばすな。尖閣諸島を購入しながら拡散を希望しろよ。先生の口元をチェックしながら拡散を希望しろよ。蒼井そらは相互フォローしろよ。拡散の意図を隠さんで拡散しろ。たくさん拡散しろ。とにかく拡散しろ。転写レベルで核酸を希望しろ。印籠を出す前に格さんを希望しろよ。行動履歴を送信されながら拡散を希望しろよ。


こんな希望のない今の日本だからこそ拡散を希望しろよ。はてなまとめをもっと使えよ。








そういうわけで保育園のお迎え行ってきます。