はてなハイク俳句(2015年10月)

秋雨が洗い流せし上半期 10/1

渡り鳥渡らなければただの鳥 10/2

椎茸を甘く煮詰める鍋の音 10/3

紅白帽ちょこちょこ走る秋の空 10/4

いつまでも他と馴染めぬ彼岸花 10/5

秋日落ち線路に沿うて狐花 10/6

ワーキャーキャーつるりネバネバ衣かつぎ 10/7

涙痕を冷やりと包む秋の風 10/8

ざらついた心鎮める金木犀 10/9

パチンコのネオンが照らす稲架襖 10/10

人民元ドルマルク放屁虫 10/11

ふかし藷大きい順に腹の中 10/12

収穫のニュース見ながら炊く古米 10/13

漆にも気後れせぬか竜田姫 10/14

未熟さを誇るがごとし青蜜柑 10/15

秋風に夏の香のせる夾竹桃 10/18

数珠玉を食べられるかと問う童 10/19

鳥威し親しく戯る小鳥二羽 10/20

草臥れてべそかく足元赤まんま 10/21

諸手上げ降参するかゐのこづち 10/22

ポクポクと落つる団栗照らす月 10/25

抜け駆けを許してなるか薯蕷汁 10/26

値札見て舌打ち弾けるしめじかな 10/27

目をあわせ先送りする冬支度 10/28

女性シンガーの基礎知識

女性シンガーの名前も顔も分かるが、彼女たちの配偶者までいくと切ない離合集散があったりなかったりすることもあり、交友関係がぐちゃぐちゃになって、ほとんど乱交パーティーのような状態になってしまう人というのが多い。以下に我が国の女性歌手について基本的知識をリストアップした。あやふやな理解があるようならばこれを機に正確な知識を我が物にしていただければと切に願う。


水嶋ヒロとは結婚してない
瑛太とは結婚してない
サムとは結婚していない
お父さんはブラザー・トムではない


紀里谷和明とは結婚していない
瑛太とは結婚してない
サムとは結婚していない
夫はある意味ハイパーメディアクリエイター(だがあの人ではない)


紀里谷和明とは結婚していない
水嶋ヒロとは結婚していない
サムとは結婚していない
川崎麻世の奥さんとは別人


紀里谷和明とは結婚していない
水嶋ヒロとは結婚してない
瑛太とは結婚していない
「次に結婚するならトム」とは思っていない


ご想像の通り熊本出身
芸名を東京マリにする予定だった
愛称はチータだが人間である
宮本浩次は茗荷が嫌い


  • その他(余裕があれば覚えておこう)

吉井和哉加藤鷹に間違えられたことがある
ダイヤモンドゆかいはユマ・サーマンをナンパしたことがある
甲本ヒロトは中華料理屋でバイトしてたが同じ店に同じ日に採用されたのが松重豊
高橋ジョージ堺正章西遊記に悟空が繰り出す分身役のひとりとして出演している




なんでもないです。

はてなハイク俳句(2015年9月)

秋晴れや足りぬくらいのみりん干し 9/15


新涼や迷った末に通す袖 9/16


渋滞を冷ややかに見る彼岸花 9/23


貧しさを傍らにやりとろろそば 9/24


かけ稲や年貢を納める男たち 9/28


ふて寝した幼子を見る十七夜 9/29


洗濯機一息をつく秋の雨 9/30

笑いを括弧で括るという修辞

松任谷由実(荒井)
お仕事中失礼します(依頼)
太郎ちゃん、よくがんばったでちゅね(偉)
本場の麻婆豆腐(辛)
もうあんたなんか(嫌)
産まれてから笑ったことがない(暗)
下がってよい(家来)
それはあんたが産まれるずっとずっと前からそうだから(古来)
谷村新司サライ
ほらヒルマンのときヘッドコーチしてた(白井)
ドリフのオチ(タライ)
人生って(辛)
高校のときの同級生にいました(寺井)
海渡って来たんだ(渡来)
そうそうそれこそがまさに私の(狙)
堅(平井)
おいセンターしっかり取れよ(フライ)
ア・キャリー(マライ)
旨味とか言うけどあれってどこで認識されてんのかね(味蕾)
ぎゅうぎゅう焼き(村井)
早い者勝ちだから(貰い!)
「日本人はどこから来てどこに向かおうとしているのか」の前半部分(由来)
では良い週末を(笑)

酢豚というイノベーション

いや、さっき酢豚食べたら超美味しかったので。
ちなみに豚は猪のイノベーション


ちなみに明治維新後に肉食が増えたものの、牛に比べて豚の需要は増えなかったらしいのだが、なんとコレラ関東大震災が契機となって豚の需要が伸びたとのこと。以下Wikipediaより。

大正元年(1912年)にコレラの流行が起きると、警視庁がコレラの流行を食い止めるために魚の生食を制限し、火を通すことが前提である肉食を奨励した。この際、上述のとおり豚が多く飼育されていた東京や関東圏において安価であった豚肉の使用が注目された。これによって、それまで牛肉が主であったカツレツが豚に置き換えられてトンカツが誕生するなど豚肉料理がこの時期に多く誕生し、豚肉の需要が急増して、ブタも日本各地で再び飼われるようになった。特に関東大震災後に関東地方で養豚ブームとなり供給量が増え安価になった。


Sow with piglet
Wikipedia「豚」より>

計量カップと格差社会

長年使っていた計量カップがあっさりと壊れたのは暑い夏の日だった。ほんの少し前のことなのに随分前の出来事のようにも感じる。真夏のあの暑さを夏の終わりになるともう思い出せないのと同じことかもしれない。仲の良かった夫婦でも、きっかけすら思い出せないような些事をきっかけに、一瞬で巨大な裂け目が生じてしまうように、我が家の計量カップが不可逆的機能不全に陥ったのもほんの一瞬の出来事だった。その日一日は家族で涙にくれて、眠れぬ夜を過ごした。結果的に寝不足となった翌日にしっかり昼寝をしたのが職場だったということは必然とも言えるし偶然とも言える。世の中の出来事の大半は偶然とも言えるし必然とも言えるのだ。


小学生の息子を近所の高級100円ショップに派遣したのはそれから何日かたってからだった。「なんだいあれだけ悲しんでいたのにもう新しいのに乗り換えるのかい」という視線が突き刺さったが、計量カップのない生活はとっくに限界に達していた。ビアグラスでだし汁を鍋に注ぎ入れるという生活がすっかり私の精神を荒廃させてしまったのだ。わたしは108円ではなく300円を息子の手に握らせて「帰りにアイスでも買いなさい」と囁くだけでいともたやすく買収に成功した。


ほどなくして息子は帰宅した。
「はいこれ買ってきたよ」
と買い物袋を手渡した。
「なにこれ?」 
「えっ? 計量カップだよ」


それはえらく巨大な物体だった。私はおそるおそる袋の中を覗くと巨大なプラスチックのカップが入っていた。容量500ml。体重550トン。巨体がうなるぞ空飛ぶぞ。
「ちょっとこれなに? パーティーグッズ?」
思いがけずむっとした調子になって息子を問いただすと、
「これしかなかったよ」
と悪びれずに答えた。口角にはチョコレートアイスがべったり付いていた。
「ピノ?」
「うん。」


私のささやかな個人史において計量カップは常に不動の200mlサイズであった。そして1カップは何mLかと問うことは、ローマ法王にあなたは神を信じるかと問うのと同程度の愚問なのだった。もちろん誰しもがそうであるように、わたしもお米の1カップだけがなぜ特権的に1合=180mlを譲らないのかという若々しい抗議の声をあげた時期があったことを隠しはしない。しかしそれでも計量カップと言えば不動の200mlであり、料理本に「3カップのだし汁」とあったときに、たまたま手元にあったお猪口にだし汁を注ぎそれを雪平鍋に注ぐという単純作業を3回繰り返し、出来上がりを味見して「水っ気がぜんぜん足りてねえ」と出版社に抗議の電話を入れるというような自己中心的な態度をとったことなどは一度としてなく、きっちり200mlサイズ計量カップ3杯のだし汁を鍋に注ぎ続けてきた人生であった。
「なぜ手元にお猪口があるんだよ」
「うるせえ」


暑かったその日、わたしの人生の安定を担保してきた200ml計量カップがあっさりとその地位を追われることとなった。新顔の容量500mlの計量カップが平穏な我が家にある種の禍々しさをもたらした。わたしはその図体のでかい新人君に冷淡な態度をとりつづけた。彼がもたらすあの禍々しさに飲み込まれるのが怖かったのだ。
「おい新入り、でかい面すんなよ」
「すみません」
新人君は恐縮してすっかり小さくなっていた。


「えっ?」
「えっ?」
「このシチューのレシピに水3カップって書いてあるけど1.5L入れろってことだよね?」
「い、いえ・・・そ、それは・・・」
「3カップって書いてあるだろうが!ここに!」
「で、ですが、それは香川綾先生が・・・」
「なに? 貴様、香川先生を知った上でのその乱暴狼藉か?」
「工場長が、工場長が、お前はプラスチックだからサイズなんていつでも変えられると言うもんだから・・・」
「えっ?」
「えっ?」


ワンカップ大関(180ml)をちびちびと飲みながら新人君のこれまでについて話をきいた。彼はあふれる涙を拭おうともせず、しゃべり続けた。聞けば、中学卒業してすぐ上京して以来、苦労の連続だったらしい。彼の話に耳を傾けながらも、プラスチックですら可塑性が担保されないこの世界で、「君の人生はいつでもやり直せる」というような言説が果たしていかほどの力を持つだろうかと自問せざるをえなかった。


500mL計量カップとの新しい生活がこうして始まった。もちろん、200mL計量カップに対する罪悪感が、この新生活をギクシャクとしたものに変えてしまう瞬間が時としてあるわけだが、私はもう決めたのだ。彼とともに生きていくことを。わたしは新しい生命をその身体に宿していた。<了>




500mL計量カップ超便利!

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現代人の自由をパスタが脅かす

いつ頃からかはっきり覚えてないですが、パスタの乾麺が100gづつ束ねてあるタイプのものが売られるようになりました。必ず日本のメーカーの商品だったりする気がしますがそれはそれとして。500g入のパスタだったら5束に分けられているわけです。大人1人前がおおよそ100gくらいと思えば便利ですね。2人の時は2束投入。5人の時は5束投入。計量の手間が省けます。いいですねえ。


しかし、これが例えば子どもがいる家庭などではどうでしょう。こどもひとりで100gまだ無理。だけど50gだとちと足りない。70-80gくらいの見当で計算したい。こういう場面があるわけですね。あるいは大人でも夏場はちょっと食欲ないし麺の量少なめで 冷製パスタっていうときがあります。実際は麺多めにしたいというときがほとんどなんですけど、匿名のくせに念のために見栄はりました。


こういう場面ではどうなるんでしょうか。100g束に拘らずに、あのパスタを束ねている小さい輪っかをはさみでちょんと切って、その場面に必要な量だけ茹でたらいいわけです。例えば家族で360gのパスタが必要だと計算したとしましょう。この場合100g束を3束を鍋に投入して、4束目をおおよそ6対4に分けて6の方を鍋に投入すればいいわけです。


ところがです。実際はそうはなりません。上の例ですとまるっと4束が投入されます。この5年ほど必ずそうなっています。実績あります。100g束に拘束される義理はないのに。「100g束に拘束される」というフレーズに自分で酔いましたスミマセン。意味分からない場合は気にしないでください。つまり、パスタ麺の量を自分の望み通りに調節するという自由が10年以上も損なわれていることになります。期間が微妙に長くなっていますがそこは勢いです気にするなかれ。


花巻出身の元祖ニート詩人ケンジ・ミヤザワは次のように問うた

諸君よ 紺いろの地平線が膨らみ高まるときに
諸君はその中に没することを欲するか
諸君はこの時代に強ひられ率ゐられて
奴隷のように忍従することを欲するか


私に「パスタは100g束で」と強いているのは誰か。巨大権力が10g単位でパスタの量を調節したいというわたしの自由を侵害しているのか。否。安倍さんがわたしに「つまり国際的な常識からするとですね、総理大臣の私がこう言ってるわけですから、つまりですね、パスタは100g単位で茹でるべきだと断言させていただきたいと思うわけです」と命じたのか。否。ハナマルキの本社がある長野県南部の都市なのか。それは伊那


世間か。世間の圧力がパスタの量を規制しているのか。ニエット。町内会の会則で「パスタは100g束で」とうたわれているのか。ニエット。4分の3拍子で比較的ゆったりとしたリズムで優雅に踊られる宮廷舞踊か。それはメヌエット


盗んだバイクで走りだしたら自由になれるのか。ノー。法に縛られているのは確かだが、法の外に自由があるのか。ノー。感情・思考などの神経活動全般を支配するというのか。それは脳。




諸君はこの時代に強ひられ率ゐられて
奴隷のように忍従しているわけではない
新しい時代のオザキよ(ジャンボじゃないぜ)
堅実なバイトをして
スーパーカブを手中におさめよ
そして法定速度でイオンに向かえ
500gのパスタを買い物かごに入れ
ワオンカードでパスタを手に入れよ(ワワン)
そして小走りで駐輪場に向かえ
他人のバイクを盗むな(悪い癖だぞ)
愛機にまたがり自宅に戻り
余りに重苦しい重力の法則から
束ねたパスタを解きはなつ
行く先もわからぬまま
5束すべてを解きはなつ
行く先もわからぬまま
そして好みの量の麺を茹でよ
ひとり145gとか
ふたりで380gとか
望みの量を茹でよ
誰にも縛られたくないと
食べ過ぎたこの夜に
自由になれた気がした?
15の夜?







帰りに束になってないパスタを買います。チャオ。